昨日のズレが続いてるんだまあ覚悟しとけさつき何時もの二度寝の一つから目覚めたつまり寝て(飯を食べ)寝てる訳だ一日に(以上左←3時30頃)その後風呂入つて今現在に至る(飯中)何か調子が悪い何時もとほぼ同じかむしろ条件がいい筈なのに頭と体の制御がをかしい腹も減り過ぎだし脳が腫れてゐる感じがする洟も出る明らかに何かしらの感染

補足 形式的にしろ最高時速と瞬間最高時速が違ふ概念になつてゐるやうだ

俺の知つた事ではないがゴリラの100M走とその瞬間最高時速は年代ごとに緩慢にあげられていつてゐることが詳細に記録されてゐる。当然之に基きその平均時速が計算されると実際とは可成乖離する結果が得られる。まづ時速の観念が出鱈目過ぎる。しかし河馬の最高時速45キロは、推定だが100M走中には計測されないのだらうとして前回書いたのだがそれも実のとこ何も知らないし詳細不明だ(無論試験対象ゴリラ一匹も之を計測した事はまだないだらう)。だから100Mを越えても安定して走力は保たれてゐなければならない、とした。ところがゴリラは200M走でも同一ゴリラが兼ねる事はままあるらしいがその場合、最高記録に於いて200Mでより速度を上げてゐる例はないと思はれる。であるからして、最高時速が単なる瞬間最高時速でないのは当然である。且あくまで厳密な云ひ方をすべき場合は最高平均時速とすべきかも知れない。且、必要なら全動物に適用可能な100M単位1キロM10キロMでのそれぞれの平均最高時速を計測すべきかもしれない。無論100Mの場合、その二つの概念が必要になるかもしれない。それならもし河馬の平均時速が40キロであるなら、いふ通り9秒ですら到達点に入れなくなると云ふ事になる(最高出力を出さないまま終る見積もりで。ところが最高出力をこの間記録するゴリラと互角になる)。初速から最高平均時速の維持と失速の問題はその動物の生態と生命線に関る時速の観念の根幹である。また自然い於いて一般的に個体差を無視した前提だらう(調査数値平均化か)。また、更に最高時速と瞬間最大出力を混同し入れ替へた計算は論理の飛躍である(河馬の数値の由来は未詳)。

 

結論:読み間違へはそもそもの統計数値の曖昧さ出どこ不明さに拠つてゐて之以上真面目に論じるに値しない程だが河馬に比してゴリラの数値は余りに詳細に過 ぎるが果たしてゴリラはほんとに犬に勝る走力なのかは超短距離に限つても疑問が残るといはざるえない。なぜならゴリラの生活力は飽く迄白ゴリラか同類かの 援助に助けられてゐるからだ。記録は可能な限り厳密にしようと努力する様だがその辺になると薬物使用不正との概念の合流を来さないのが曖昧だ。

 

以上、基本的に既に一切の言行は停止してゐるが継続的思考が喋つてるので之が黙るまで続ける